ここでは、外部資金の獲得の成果をまとめます

個別の共同研究についての情報は差し控え、件数と状況のみを記します。

平成21年度(2009:16) 【岐阜高専准教授2年目:5件】

岐阜高専に戻ったが、金融危機の直撃で企業の経済状況は厳しく、共同研究の資金も半減しました。企業は大ピンチなので、自分もしばらくは辛抱します。来年度に期待しよう!

平成20年度(2008:15) 【豊橋技科大准教授1年目:5件】

豊橋で人事交流で移動するため、共同研究の継続が難しいものがあり、断ったものもあり、大きく減額しました。まあ豊橋では自分だけなので、これで十分と言えます。

平成19年度(2007:14) 【岐阜高専准教授1年目:8件】

件数としては最大の8件であり、良く頑張ったと思います。これだけの外部資金に対して成果を出そうとすると、本当に研究室総出でした。一応目標の大台は確保しました。

平成18年度(2006:13) 【岐阜高専助教授8年目:7件】

名だたる大企業から外部資金を頂けるようになり、良く頑張ったと思います。ここから共同研究ベースの研究活動が進むことになり、学生スタッフも必至です。目標の大台は確保しました。

平成17年度(2005:12) 【岐阜高専助教授7年目:7件】

ついに大台達成です。これまでの基礎固めが花開き情報系共同研究が多くなり、まさにIT時代の波に乗ったと思います。ここからDALABの方向性が確定したと思います。

平成16年度(2004:11) 【岐阜高専助教授6年目:2件】

色々と努力はしているものの、外部資金としての成果はまだまだです。ここで最後の科学研究費です。あとは母校の援助を受けながら、なんとか研究室を維持していました。

平成15年度(2003:10) 【岐阜高専助教授5年目:2件】

企業とのコネもなく画期的な技術を持つわけでもなく、ただひたすら努力あるのみでした。科学研究費があるだけましで、とにかく自由に研究できる予算を求めていました。

平成14年度(2002:09) 【岐阜高専助教授4年目:1件】

本当に苦しい時代で、図書も計算機も殆ど持ち出しで、研究論文もできず研究成果も挙げられず、困っていました。でも学生スタッフは、本当に頑張ってくれたと思います。

平成13年度(2001:08) 【岐阜高専助教授3年目】

助教授となるも、研究費は獲得できず、21世紀も厳しい状況が続いていました。とにかく計算機をたくさん購入して、並列処理を自由にやりたいとそればかり考えてました。

平成12年度(2000:07) 【岐阜高専助教授2年目:1件】

財団の助成金が2つ目で、ビギナーズラックと言えますが、助かりました。しかし、これ以降財団系は全くダメです。並列処理を研究の中心に置くことに覚悟ができたと思います。

平成11年度(1999:06) 【岐阜高専助教授1年目:2件】

財団の研究費ですが、破格の金額を頂くことができました。これで高価なワークステーションなどを購入して、予算の必要性を実感しました。研究には資金が必要です。

平成10年度(1998:05) 【岐阜高専講師4年目:1件】

ここでは科学研究費の継続があったので、なんとかなりましたが、厳しい状況です。当時の計算機は非常に高価なので、パソコン1台買うのも、本当に大変でした。

平成09年度(1997:04) 【岐阜高専講師3年目:2件】

初めて財団系の助成金を頂くことができました。これは新聞にも名前が載ったし、非常に誉に思ったものです。研究者として何とかやってゆけるだろうと自信を持ちました。

平成08年度(1996:03) 【岐阜高専講師2年目】

科学研究費の計算機があるから何とかなったが、図書資料などは月に10万以上購入し、殆ど私費で購入していた。中古計算機も自腹で購入して研究室で使っていたな。懐かしい。

平成07年度(1995:02) 【岐阜高専講師1年目:1件】

初めて応募した科学研究費が採択されました。ビギナーズラックと言えるでしょうが、これで何とか構造解析用の計算機などを購入することができました。予算確保は大切です。

平成06年度(1994:01) 【岐阜高専助手1年目】

着任1年目社会人1年生なので、共同研究もなく科学研究費も申請できず、とにかく岐阜高専で手当てしてもらった予算でやりくりしました。相当、身銭を切っていたような。

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Last-modified: 2017-03-12 (日) 23:08:06 (2026d)